少年部の歩み
1980年4月の永山体育館事務所で青梅市サッカー協会の普及部会が開かれ、少年サッカーのより以上の普及について 論議が展開されていました。この普及活動の一環として、1981年7月にさわやかサッカー教室が、現サッカー解説者 セルジオ越後さんを呼んで、市民球技場の芝生を埋め尽くす子供たちを対象に開かれた。広報や各小学校への勧誘等、 サッカー協会全体で取り組んだのであった。
当時の普及部の仕事というと、小学生大会、中学生大会、市民大会の小学生の部、中学生の部の運営であった。
1982年7月にサロンフットボール講習会を、ヴェルディ川崎で活躍し現在テレビ解説でよく目にするラモス氏、トレド氏を呼んで実施した。
小学生のサッカーも年々盛んになり、青梅市サッカー協会に少年部を作る必要性が言い出された。1984年3月に少年部の設立についての会議が開かれ、4月青梅市サッカー協会に念願の少年部が設立された。最初の部長 として霞の奥富さん、副部長に2小の久保さん、青梅FCの関さんが選ばれ体制が整った。また各クラブから選ばれた理事の 方と協力して少年部の仕事を進めることになった。
当時の小学生のクラブとしては、霞、永山、2小、小曽木、吉野の4チームであった。9月には若草FCが加盟した。1986年4月に読売サッカークラブ(現ヴェルディ)の選手によるサッカ−教室を開いた。永山公園で実施された教室に前ヴェルディ監督の松木さんの顔を見ることができた。この年新町FC、4小、8小が加盟した。
1987年7月、後のフレンドリィカップと名付けられた普段試合に出られない子供たちのための大会。これが9月に実施され 多くの子供たちがサッカーの試合に出る喜びを生んだ。1988年9月には奥多摩町の氷川FCが加盟、そして1990年5月新町FCの斉藤さんが部長に、永山の川杉さんが副部長になり新しい体制がスタートした。後にウエストジュニア、FCオンゼ(現柏レイソル青梅)、青梅7FC、河辺スーパーっキッズが加盟
解散、合併があって2004年現在、11チームで活動しています。
主催する試合としては、6〜9月のフレンドリィーカップ(現ライオンズカップ)11月の市民大会12月のフットサル大会、それと 2〜3月の青梅招待サッカー大会となっています。
※ 1995年青梅市サッカー協会25周年記念誌の「少年部の歩み」奥富孝夫氏の文章を参考にしました。
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